黒田雪子 なおす、みなおす。

お知らせ

みなおす

青山にある根津美術館で、お直しの名品ばかりを集めた展示が行われています。もとは作家の志賀直哉による所蔵で、窃盗犯により粉々に割られたという話で有名な、白磁の大壷も見ることができます。
私が一番見たかったのは、金継ぎされた志野の茶碗、銘は「もも」。単に割れた器を直しているようですが、異なる陶片が組み合わされています。じつはうちの猫の名も「もも(百)」。この器の銘から頂いたと言いたいところですが、単なる偶然で、でも、長寿を願ってつけたという由来は同じ。
この、うちにやって来た痩せっぽちのノラ猫、百と名付けられて間もなく、なんの因果か大腿骨を複雑に折るという災難にあうのです。一時は半身不随のままで一生を過ごすのかもしれないと途方にくれましたが、幸いにして素晴らしいお直しが施されました。手術により足に生涯外せぬ金属の棒が埋め込まれたのです。器のももは呼び継ぎですが、猫の百は鎹(かすがい)止め、なり。
百は今となっては当時の事が嘘のごとく、毎日元気に活動中です。暴れまわるので、つい、カっとなる事態もたまにありますが、嬉しそうに(そう見える)してると、ほんとによかったと頬も緩みます。
物でも人でも動物でも何でも、失いたくないと思える出会いは、なんて貴いことなんだろう。決して仕事のためのキャッチコピーではありません。心の底からそう思います。根津で直された器をみていて、器の主の喜びと器の喜び、双方の充実を感じるのでした。
11/3までとあとわずかなので、まだの方、急いで。

http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2014_n06.html

糸績みの勉強会に行きました。
植物の長繊維を繋いで糸を作り出すことを績む(うむ)といいます。猫の毛ほどの塵のような繊維も大事に集めて使います。昔の人は皆、気が遠くなるほどの時間を経て、布を織り衣服に仕立てました。下の絵は江戸の浮世絵師、菱川師宣によるもので、私が学んだのと同じ糸績みをしている江戸の女達が描かれています。気が遠くなると書くと苦行のようですが実際はしみじみと楽しい。それに手仕事というものは本来の目的とは別に、自分の中の澱みを払ってくれると感じます。つらい事があったら、なんにも考えずに手を動かすといい。
本日、東京は雪の立春です。

糸績みの女

草津にいます。目指すは町の共同浴場。窓から斜めに差し込む午後の光と湯けむりの作る景色は、まるでフェルメールの絵のよう。客は私を含め三人のみで、流れる湯の音以外はシンと静か。そのうち何とはなしに会話も始まります。一人はご近所、一人は埼玉から来た常連さん。二人とも口を揃えて「湯は、入る、じゃなくて、もらうって言うのよ。いただきものなの。」ああ、、おかげで胸の奥まで熱くなりました。

本日は旧暦の正月。陰暦一月の異名は、睦月(むつき)の他に、太郎月(たろうづき)、霞初月(かすみそめづき)、早緑月(さみどりづき)他、まだまだあるよう。どれもぱっと景色が浮かびます。和食に続き、日本語も無形文化遺産になればいいのに。

本居宣長に、「姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シ」という言葉がある。
ここで姿というのは、言葉の姿のことで、言葉は真似し難いが、意味は真似し易いと言うのである。

 小林秀雄「考えるヒント」より抜粋

運転免許の更新で、気晴らしに足を伸ばして江東区の試験場まで行きました。最寄り駅である東陽町といえば改札を出て間もなくのところに竹中工務店がそびえていて、そこの1Fにこじんまりとしたギャラリーがあります。この日は吉村順三が手がけた小さな木造教会の展示。大手メーカーでのこのような展示に、エっとしてホっ。素朴さによってもたらされる無限について思いを巡らせました。

http://www.a-quad.jp/exhibition/061/p01.html

今年の正月三が日は、芸術新潮のつげ義春特集を読みふける事で幕開けをしていました。つげ作品と言えばすぐに、鄙びた温泉地が浮かびます。そもそも温泉とは、病んだ身体をいやす湯治場で、そこに集まるのは弱者でした。歳を経るごとにそんなつげ作品に惹かれるのは、醗酵と熟成のせいかしらん。アタシも少しはオトナになったのかなあ、と思うのでした。

websiteをリニューアルしました。もう少し整えてからアップを、と思っていましたが、まだ時間がかかりそうなので、ガウディのサグラダ・ファミリアのようにコツコツと地道に、たまには、季節の変わり目のように行きつ戻りつしながら、進もうと思います。
ここの『お知らせ』の項目には、媒体掲載のお知らせの他に、なおすみなおす、の視点での雑記も混在させます。美味しいチャンプルーが作れますように。
では今年も、そしてこの新顔も、どうぞよろしくお願いいたします。

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